結婚してから早いもので10年が経ちました。この10年でどっぷりと自衛隊生活に染まったな〜と感じたので、プライベートも盛り込みつつ、自衛隊用語盛りだくさんの10年間を振り返りたいと思います。
結婚1年目
慣れない東北の地での生活スタート。
東海地方出身の私は、東海〜関東でしか過ごしたことがなく、言葉の違いに苦しめられます。
地域の人、スーパーの人が何を言っているのか全く聞き取ることができないのです。「同じ国内なのに・・・」ととてもショックで、外国にいきなり連れてこられたかのような疎外感に苛まれて、ちょっとブルーな気持ちが続きました・・・
もう1つ衝撃であったことと言えば、迷彩服を着た自衛官が自転車やバイクで普通に通勤していることです。都会暮らしが多かった私は、迷彩服を着た人を見るシーンといえば、ニュースの中だけでしたので、身近に通行しているのを目の当たりにするとびっくりしたものです。(今では慣れっこ。)
結婚2年目
子供なし夫婦2人の生活を謳歌中です。
フルタイム共働きで、官舎に住まわせてもらっていたので、ありがたいことにお金には余裕がありました。毎週末外食・コメダなどのカフェ巡り・お買い物・旅行・脱毛など、やりたいことを存分に楽しんでいましたね。
私事でいえば、新天地で就職活動中です。これから2年スパンで転勤がある夫について行くとなると、求職活動も慎重になりますね。いつ転勤が決まっても大丈夫なように、正社員ではなく派遣社員で働くことにしました。支店が全国にあるような派遣会社に登録をすれば、転勤先でも就職先を探すのがスムーズだと思ったためです。
時を同じくして、夫がBOC入校となったので半年ほど家を空けます。寂しいような、寂しくないような。私たち夫婦は、お互いにあまり干渉しないスタイルなので、夫がいなくてもそれなりに楽しんでいました。
結婚3年目
新天地での就職先も決まり、会社に馴染んできた頃です。仙台の人が話す東北訛りは、ヒアリングはできるようになってきて、「私も東北に馴染んできたな〜」なんて思っていたら、福島支店・山形支店からの電話で、強烈な東北訛りを目の当たりにします。そう、仙台の東北訛りなど序の口だったのです。福島県の訛りと山形県の訛りは別物なのですが、それぞれに特徴があって、なんとなく●●県の訛りだな〜くらいまでは聞き分けができるようになりました。
派遣社員として入社した会社にも馴染んできて、会社にも友達と呼べる人が数人できました。仲良くなった会社の友人と金曜日・土曜日など次の日がお休みの日を選んでは、夜な夜な仙台の街を飲み歩いていました。
好きなことは好きなだけしましたが、貯蓄型の外貨積立保険に加入したり、共済の定期積立などに相当額かけていたので貯金もちゃんとしていましたよ。漠然と将来のために貯金している感じだったのですが、お金は貯めておくに越したことはないと思いますね。特に自衛官は退官が早いですから、老後の資金は大事です!
ちょっと話はそれまして、自衛隊は給与明細が細長〜〜〜〜いぴらぴらの紙でもらうんですが、特に封筒とかで隠されているわけではありません。夫の給与から貯金分は天引きしていたので、手取りがものすごく少なかったんです!!!当時、部隊分の明細を部下の方が配ってくれる時に夫の手取りがくを見たんでしょうね。「え・・・この人(我が夫)、俺より給料上なはずなのに、なんで手取り7万円しかもらっていないんだ・・・」と激震したそうです(笑)その部下という方が、たまたま知り合いの夫だったためにこっそり聞いた話です(笑)
結婚4年目
待望の長女が生まれました!今まで大人しかいなかった生活に突如赤ちゃんがやってきたので、戸惑いがすごかったです。
産休育休を取得していたのですが、人生でこんなにも休んだことはない。というくらいの長期の休暇で、時間に余裕があるというか何もしていないことに慣れていない私は、生産性のない自分に嫌気がさしてしまい、東北に引っ越してきたばかり以来に再びブルーになります。
その結果、長女4ヶ月で職場復帰します。寝返りできていない我が子を保育園に預けながら仕事を開始したのですが、あれ以上休んでいたらおそらく産後うつみたいになっていただろう・・・と今になると思います。
自衛官って、訓練やら災害やらでザラに数週間家を空けますから、家事・育児などの全てのウエイトが妻にのしかかります。フルタイムで仕事して、その後家事・育児となると心も荒んできるんですよね(笑)今では笑い話ですけど、当時は鬼の形相でやっていたと思います。
結婚5年目
夫がAOC入校です!このタイミングで、マイホーム購入を決意します。夫がAOC卒業するタイミングで家の引き渡しができるプランで建築開始。消費税が8%から10%に変わるタイミングだったので、増税前駆け込み購入です。
すっかり仙台の地を気に入ってしまった私は、仙台に家を建てたかったのですが、夫の今後のキャリアプランを考えたときに、この先のほとんどが防衛省で務めることになるだろうということで、通勤を考慮して関東圏内に住むのがベストということになり、関東圏内に家を建てました。
トラブルもありながら、なんとかマイホームが完成し、マイホームに移り住みます。住宅ローンという借金生活の始まりです。
結婚6年目
保育園活動が激戦だったこの頃、引っ越し先で保育園が全然見つからず、待機児童という苦い経験をします。
生後4ヶ月しかベッタリ一緒にいなかった娘と、まさかこのタイミングで1日中一緒にいなければならないとは思いもしませんでした。この頃の娘の歳がまさにイヤイヤ期と重なり、気が狂いそうでした(笑)
夫といえば、CGS入校のための試験勉強をしているようです。筆記の1次試験、諮問官との面接がある2次試験は、狭き門のようです。今までエスカレーター式に昇任してきましたが、ここからは己の実力で昇任具合が変わってくるみたいですね。心の中では応援しますが、あまりプレッシャーは与えないようにしていました。
結婚7年目
次女が生まれました。夫は相変わらずCGSの勉強を頑張っています。今期で合格してくれれば、来期は目黒の学校に入校になるので、帰宅時間も早いし訓練もないし災害派遣もないし・・・という点で、子供のお世話を分担できるからありがたいな〜とは望んでいました。プレッシャーかけてもアレなので、妻は静かに見守るだけ。
結婚8年目
無事、夫のCGS入校が決定しました!ああ〜、よかった!
子供のお世話の件もそうだけど、CGSの試験勉強で結構精神的に参ってるな〜っていうのを感じていたので、もし不合格だったらこれを来年も見なくちゃいけないのか・・・と思うと、可哀想になってきてしまって(汗)
BOC・AOCは半年間の入校なので、在籍している駐屯地はそのままで出張扱いみたいな感じで入校するんですよね。でも、CGSは1年弱だったかな?長いので、転勤扱いになるとのこと。転勤扱いになるので、家族帯同も認められるんです。ただ、割り当てられる官舎が目黒からなかなか遠いんですよね。座間とか北柏とかで、もはや東京都ではない(笑)我が夫は、家から2時間くらいかけて通っていましたよ。
結婚9年目
娘二人もそれなりに大きくなり、私にも少し余裕が出てきました。仕事をセーブしていましたが、本格的に稼ぐ体制にシフトします。
今までは派遣社員でしたが、マイホーム購入をきっかけに在宅ワーカー・フリーランスになりました。家から一歩も出ないで仕事ができるので、洗濯物や宅配便の受け取りなどすごく便利でした。
夫といえば、CGS卒業して次の勤務先が仙台に!本気でついて行こうとしたんですが、夫一人で言ってもらって女3人は関東圏内に留まることになりました。まさか、2度も仙台に行くことになるとは・・・
結婚10年目
「期待しない」という鋼のメンタルを手にしました。自衛官って職業柄、旅行とか約束事を急遽キャンセルしなければならなかったり、私を含め家族が我慢というか残念な思いをすることが多くあると思います。私も何度か経験しましたし、友人はGWの大阪旅行が急遽キャンセルになってすごく残念だったと話してくれました。
私は常に一定の感情で暮らしていたいので、「期待しない」ということを身につけました。感情の起伏なく暮らすわけですから、テンション爆上がるくらい楽しみなこともない分、奈落に突き落とされるくらいの悲しいこともありません。「期待しない」わけですから、「あ〜今度のGWどこに旅行に行こうかな〜ハワイかな〜グアムかな〜」なんて考えないんです。そうすれば、たとえGWに夫が仕事になってしまっても、「そっか、仕事か。特に予定もなかったし、マッサージでも予約しよっかな〜」という程度で済むのです。このマインドは、全ては自分の精神状態を正常に保つための保身なのですが、これを夫に話すと、残念そうにします。「俺に何も期待していないってこと?」と感じるようですね。そういう解釈じゃないんですけどね、言っても伝われないのでこれ以上の説明はいつもしないです(笑)
今後の抱負
結婚した当初は、防大卒業したばかりのピヨピヨの幹部自衛官だった夫も、なんや勘やで昇任しました。当時は「官舎の回覧板で知ったんだけど、すぐ下に住んでる人2佐だってよ!静かに歩かないとね(笑)」とか言って、「2佐ってすごいおじさんだよな〜」とか思っていましたが、夫もそんな歳になりましたね。10年も経てば、それなりに偉くなるか(笑)
結婚当初より肝が据わった自衛官妻に成長しましたので、今後も引き続き自衛官夫のサポートに努めてまいります!