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私が個人事業主になった理由

お金・仕事

ごくごく普通の会社員でした

短大卒業後、20歳で就職した私。

当時は、会社勤めであることを定時に出社して、ルーチン業務をこなして、決まった時間にお昼ごはんを食べて、

取引先から頂いたお菓子をおやつタイムに食べて、月末月初は少し残業して、土日はしっかり休んで…

これでお給料がもらえるんだから会社勤めって快適だな~って思っていました。

22歳で結婚をする私。

私達夫婦は、しばらく子宝に恵まれなかったので、結婚しても会社員であることに対する不満や不便さは感じませんでした。

会社にさえきて、ルーチン業務をこなせばお給料がもらえ、自衛官の夫と二人暮らしで共働きなので、暮らすのには十分すぎるくらいの収入があって、将来への貯金・保険などのやりくりもできていました。

うん、やっぱり会社員って最高!

25歳で出産をする

今まで、夫婦二人で暮らしてきて日中は忙しく会社員をしていた生活に慣れていたため、家で赤ちゃんと二人っきりというスローライフに、どうしていいのか自分が対応しきれず、若干産後うつ状態になってしまいます。

家でじっとしているだけの、生産性のない自分に嫌気が指すようになってしまって、子供の保育園を探して、1歳になる前に早々と職場復帰をしようと企てます。

待機児童問題が騒がれている時代でしたが、無事、保育園が見つかり子供を5ヶ月で預けて、職場復帰をします。

これで、生産性のない自分から脱却できる!と意気揚々。

子供はすぐ病気になる

保育園に行き始めると、集団生活の怖いものですぐに病気をもらってきます。

家で体調不良が分かれば、保育園を休ませなければならないし、登園した後に体調不良が分かれば、職場に電話がかかってきて呼び出されます。

仕事を早退して、子供の看病をするママになるわけです。

仕事を欠勤・早退することがストレス

子供が病気になってしまっては、保育園に預けられないので、親は仕事を休んで看病しなければなりません。

これが、普通の共働き家庭だったら父・母の業務の状況を鑑みて、夫と私のどちらが休むのが得策か家族会議をするのでしょう。

しかし、我が家は夫が自衛官で激務ということもあり、

子供が病気=私が仕事を休む

の一択だったんです。

そして、責任感が強い私にとって仕事を休むということが、他の人の負担になるのではないか、迷惑になるのではないかという考えが頭の中を占拠してしまって、心穏やかに過ごせませんでした。

なので、子供が病気になって保育園を休む度に、

自衛官妻
自衛官妻

なんで私が一択で仕事を休まなくちゃいけないの?

今日、月末ですごく忙しいのに…

私がやらなきゃいけなかった、○○の仕事のしわ寄せが××さんに行ってしまって

申し訳ないな…

などと、いろいろと考えてしまって看病している間もイライラしてしまったり。

そのイライラが幼い子供にも伝わるみたいなんです。

具合が悪いせいもありますが、いつもより泣いたり、甘えてきたり。

それに対してもイライラしてしまう心が小さな私がいます。

そして、心が小さな私に対しても悲しくなってくるんです。

子供が病気になる度に、心身ともにズタボロになっていく生活でした。

夫の転勤が決まる

夫に県外転勤が決まって、家族みんなで引越をすることになりました。

もちろん、私は勤めていた仕事を辞め、子供は通っていた保育園を退園します。

「引越し先で、また就職活動しなくちゃな~」

なんて、やんわり考えながら荷造りをしていました。

引越し先の立地とか求人とかをインターネットで見漁る毎日を送っていると、衝撃的な事実が判明します。

引越し先の最寄り駅の鉄道は、日本で有数の高運賃鉄道だったのです!

6ヶ月定期に30万円程度かかるという由々しき事態!!!

「こんなんでは、いくら稼いでも電車賃に消えてしまう…」

と怖くなりました。

家から一歩も出ないで、家でお金を生み出せれば…

「家から一歩も出ないで、家でお金を生み出すことができればいいんだ!」

と私はひらめきます。

家で仕事をすることができれば、子供が病気になっても誰にも迷惑をかけることなく、子供の看病に専念できるし、台風でも大雪でも電車の遅延・運休に振り回されることがありません。

平日に銀行・郵便局・お役所にだって行くことができます。

寝坊したとしても、洗濯物干しだってできるし、急に雨が降ってきたら洗濯物を取り込むことだってできます。

家から出る必要もないので、女としての魅力は少々下がりますが、化粧・洋服・美容院・マツエクなどにかけていた装飾代が浮きます。

子供が生まれてから抱いていた会社員の不自由さが全てクリアになるではないか!

と感動する反面、個人事業主は全て自分で行わなければならないので、

安定した収入を得るまでの基盤づくりが大変だということは素人ながらに覚悟はしていました。

始めのうちは、無賃生活も覚悟で様々なことにチャレンジしましたね。

そこから、自営業・フリーランス・自由業などを調べまくって、個人事業主になるための道が開けていったのです。

個人事業主の道を選んだ理由

当時は、扶養内の制度が今とは違ったので、主人の扶養内で年収38万円までなら確定申告不要で稼ぐことが可能でした。

それに満足するのなら、なにも個人事業主にならなくったって年収38万円までなら稼ぐことができたんです。

しかし、私には子供を保育園に入れるという大きなミッションがあったので、あえて個人事業主として開業届を提出して、確定申告もしっかりして、晴れて個人事業主デビューを果たすわけです。

個人事業主になったことで私を自由にしてくれた

転居先で、しばらく待機児童でしたが、晴れて保育園に入園できることとなりました。

夫は引越し前よりも忙しい職場に転勤になってしまったので、本当に家事・育児は自分ひとりでやっていました。

ワンオペというよりも、シングルマザーという感覚でしたね。

でも、個人事業主になったことによって会社員だったころよりもストレスが減って、怒ったりイライラしている自分が減ったな。

と感じましたね。

前よりも、気持ちに余裕ができて丸くなれました。

それは、子供が病気になって保育園を休んだり、呼び出されたときも同じことです。

上司・同僚など誰にも謝らることをせず、業務の引き継ぎもせず、自分の都合で家を出て、保育園に迎えに行くことができます。

当たり前のように会社員をやっていたときには感じなかったけれど、個人事業主になって自由を手に入れてから初めて、会社員の不自由さを感じた瞬間でしたね。

収入面では会社員ほど安定はしていませんが、毎月ほどほどに稼げていて、生活の質、自分の中身の変化を感じることができているのに、とても満足しているので、これが自分にあっていたんだな。

いい選択だったんだな。と自分を褒めてあげたいです。

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